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瀬戸音信

                                   西海の教会群に鉄川与助の足取りを辿る
                                    人・物・情報の交差する島々の物語
                                        上五島の歴史と文化・風土



 

鉄川与助と西海の建築史

江袋天主堂

頭ヶ島天主堂

野首天主堂

 



西海の教会群に鉄川与助の足取りを辿る    渡邉義孝

 

◎講師紹介(案内状より)

 一九六六年、京都府生まれ。一級建築士。鈴木喜一建築計画工房(アミギャラリー)に入所。住宅設計、民家再生、文化財調査担当。

 二〇〇四年、風組渡邉設計室創設。現在、NPO東京を描く市民の会理事、神楽坂建築塾講師ほか、日本民俗建築学会正会員。

 著書 『風をたべた日々アジア横断日記』『セルフビルド 民家を作る自由』『久留里のまちなみの魅力〜建築から見る歴史と文化』『画集 西海の教会建築』『アルメニア教会建築紀行』

◎講演・スライドショー(配布資料に基づいて解説・説明)

 講演に先立ち、リブ・ヴォールトの構造上の特徴について、模型を用いて説明。石材(西欧)を用いた場合はこの構造は必須であるが木材ではその必要はなく、日本では装飾的構造として模倣。

○配布資料 表題「鉄川与助と西海の教会建築史」

 この資料は、西海(特に五島列島)の教会群を鉄川与助が関与した以前以後に分け、関与後の与助の設計を@前記「レンガを極める」A中期「レンガ意匠化と新しい空間創造へ」B後期「コンクリートと見せる構造へ」の三段階に分類し、それぞれの特徴を水彩スケッチや写真を配して図解したもの。選択に当っては、第二次世界大戦前までの代表的な設計施工のものを対象とし、時代区分は、川上秀人著『鉄川与助の教会建築について』によった。

 各段階の教会を時系列で列挙すると次のようになる。

【凡例 構造=木(木造)、レ(レンガ造)、RC(鉄筋コンクリート造)。屋根=単屋(単層屋根)、重屋(重層屋根)。平面形式=単廊(信徒席部が1区画)、3廊(身廊+両側廊)。天井形式=リ(リブヴォールト)、平(平天井)、折上(折上げ天井)。側面窓形式=▲(尖頭アーチ)、●(半円アーチ)】

○鉄川与助設計関与前(教会名、所在地、特徴など)

 一八六四年 大浦天主堂(パリ外国宣教師会、国宝)

 一八八一年 旧五輪(五島市蕨町、木、単屋、3廊、リ、五島最古、▲)

 一八八二年 江袋(新上五島町曾根郷、木、単屋、3廊、リ、現役最古、二〇〇七年焼損、原久米吉設計か、▲)

 一八九三年 大野(長崎市下大野町、石造、単屋、単廊、平、ド・ロ様壁、●)

 一八九七年 神ノ島(長崎市神ノ島町、レ、単屋、3廊、リ、石灰モルタル塗り、●)

 一八九九年 宝亀(新上五島町曾根郷、レ+木、重屋、3廊、正面のみレンガ造、海側側面にベランダ、▲)

 一八九九年 曾根(新上五島町曾根郷、現存せず、ペルー神父のもと鉄川与助が施工)

 一九〇二年 黒島(佐世保市黒島町、レ、重層、3廊、リ、マルマン神父、●)

○鉄川与助設計関与後

@前記「レンガを極める」(3廊式平面を正面に表現・質実剛健なイギリス積み・主廊幅=側廊×2の完成形・貫の高さを徐々にアップ・試行を続けて技量を向上)

 一九〇七年 冷水(新上五島町網上郷、木、単屋、3廊、リ、与助初の設計施工、低いアーチ、奥行き感、▲)

 一九〇八年 旧野首(小値賀町野崎島、レ、単屋、3廊、リ、与助初のレンガ造、正方形の会堂廊、城塞みたいな胸壁様装飾、▲)

 一九〇八年 堂崎(五島市、レ、重屋、3廊、リ、ペール神父設計、野原棟梁、与助副棟梁・柱頭意匠に与助関与の痕跡、▲)

 一九一〇年 青砂ヶ浦(新上五島町奈摩郷、レ、重屋、3廊、リ、洋小屋、水平で3層の正面、色レンガで十字装飾、柱間狭めて貫高く、重要文、▲)

 一九一二年 楠原(五島市岐宿町、レ、重屋、3廊、リ、垂直性を強調、▲)

 一九一三年 今村(福岡県大刀洗町、レ、重屋、3廊、リ、双塔と八角ドーム、●)

A中期「レンガ意匠化と新しい空間創造へ」(意匠材としてのレンガの再発見・鐘楼と八角ドームの計画・新しい構法への果敢な挑戦)

 一九一五年 長崎大司教区(長崎市、レ、3階建、ド・ロ神父)

 一九一六年 大曾(新上五島町大曾、レ、重屋、3廊、リ、鐘楼が前面に突出、八角ドーム、色レンガを意匠に、天井部は簡素化、●)

 一九一八年 田平(平戸市田平町、レ、重屋、3廊、リ、洋小屋、鐘楼八角ドーム、色レンガ水平帯、石材も〈最後のレンガ造教会〉、トリフォリウムと垂直性、 重要文、●)

 一九一八年 江上(五島市奈留町、木、重屋、3廊、リ、小規模ながら高完成度、手書きの窓ガラス、●)

 一九一九年 頭ヶ島(新上五島町友住、石、単屋、二重折上、粗石積み、ハンマービーム、信徒総出で十一年、●)

 一九二一年 旧細石流(五島市猪木町、木、単屋、3廊、折上、花のマーク、現存せず、●)

 一九二二年 半泊(コメントなし)

B後期「コンクリートと見せる構造へ」(耐震性高めるコンクリート造の採用・折上天井で「構造あらわし」・和風の単なる模倣ではない!)

 一九二八年 手取(熊本市、RC、単屋、3廊、折上、でも表面は石積み風に、梁をそのままデザインに、●)

 一九二九年 紐差(平戸市紐差町、RC、重屋、3廊、折上、強壮な構造表現、花や植物文様で柔らかに、●)

 一九三一年 浜脇(五島市田ノ浦、RC、重屋、3廊、リ、五島初のコンクリート、●+▲)

 一九三三年 大江(熊本県天草市、RC、単屋、3廊、折上、鐘楼と八角ドーム、梁は更に太く、正面両端にピナクル、●)

 一九三五年 崎津(熊本県天草市、RC、単屋、3廊、リ、ただし会堂部は木造、▲)

 一九三八年 水ノ浦(五島市岐宿、木、重屋、3廊、リ、意匠としての控壁、清楚な美しさ、▲)

 

◎西海教会建築の父・鉄川与助(一八七九〜一九七六)肖像と横顔

 五島―長崎の教会堂を訪ねる旅は、建築家鉄川与助の足跡をたどる旅でもある。五島の棟梁の子に生まれた与助は、明治中期に出会ったフランス人神父から、リブ・ヴォールト(肋骨)天井やレンガ技術、力学などの西洋建築学を精力的に吸収し、木造〔冷水など〕、レンガ造〔野首、大曽など〕、石造〔頭ヶ島〕更にはRC造も手がけ、独自の天主堂建築様式を確立した。日本の近代建築の黎明期にあって、それは中央の潮流から見れば異質のものであっただろうが、そこには確かな土臭さがあり、各々の島の制約(財政・材料・耐久性)に縛られ乍らも、島に生きる人びとのカトリック復活の息吹と敬虔なる祈りとを、神聖な宗教空間として具現する、工夫と懸命の努力があった。そしてそれらの教会の多くは、今も静かに、人びとに守られている。

                    (文責 新木涵人)