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瀬戸音信

                                          故郷の椿と教会
                                    人・物・情報の交差する島々の物語
                                        上五島の歴史と文化・風土
                  (原典:『創立10周年記念誌 上五島の歴史と風土』より)






頭ヶ島天主堂内




中ノ浦教会堂内



福見教会のステンドグラス


【平成十七年四月二十三日】

              故郷の椿と教会

                   比留木忠治

◎講師紹介

 九州大学農学部を卒業後、植物病理学に専念。米国留学後、一九六六年からカナダのアルバータ大学で助教授、教授として二百を超す論文を発表。退官後、五島へ帰郷後も客員教授として世界的に品種価値の高い五島椿(つばき)をアピール。二〇〇二年には、ボランティア団体「五島の椿と自然を守る会」を設立。

◎講演内容(聴取メモ列記)

○五島の教会は、欧米の教会と比較しても素晴らしい。毎日の生活の中に溶け込んでいる。このことを認識させられた。

○スイスには、「椿の里」がある。この地方は湖があり気候を和らげる効果がある。椿の苗を育成し、輸出している。五島でも苗を作り、売ることを提案したいと語って、次のような話が続いた。

○椿の紋様の話 三種類あること。それらが施された教会のこと。

○何故、五島の教会は椿なのか? 外海のバスチャンの椿のこと。

○二十六聖人殉教時にマニラからの使者が遺品として椿を持ち帰り十字架の穴に美しい花の咲く常緑樹として植えられたという。

○マリア像の原画に描かれた白バラは当時の日本人にはバラと認識できず白椿を描いた聖母子像がある。

○椿の紋様化や教会等の事跡については、比留木氏より頂いた「講演覚書」に詳しく記載されているので、以下に要約抜粋する。

五島のキリシタン文化におけるヤブ椿の役割

○ヤブ椿紋様と教会での出会い

 現存する五島の教会でもっとも古いものは、新魚目町にある江袋教会で、ブレル神父の指導と資金援助よって明治十五年竣工。長崎県下でも原型を留める最古の木造教会として知られている。五島の教会を巡回して気付くことは、西欧の教会の多くが、室内装飾に聖書の中の物語にモチーフを求めて、これを直載的に表現しているのに対し、五島ではむしろ幾何学的に図案化されたものに深いシンボリズムを以って信仰を表現したものが主体となっていることである。

 五島の教会の中で、はじめて堂内の装飾に用いられた椿を見たのは、約十年前、頭ヶ島天主堂でのことであった。堂内は様々に工夫を凝らした花柄模様で装飾が施されているので、明るく華やいだ雰囲気が感じられる。その中で一際めだっているのは、設計と施工を担当した鉄川與助独特の折上天井を支えるアーチ型支柱の基部に規則的に施された一見して判る白椿の紋様である。その後、興味の赴くままに各地の教会堂の内部装飾を比較検討の結果、椿を主題とした装飾には五島の教会独特の伝統が秘められていることが判明した。

○教会建築におけるヤブ椿紋様

 頭ヶ島教会堂の椿紋様の初見以来、五島全域にわたって、現存する教会の内部装飾について、とくに椿紋様を中心に調査を行ったが、その結果、少なくとも次のような三形式の存在が明らかになった。

1.椿の特徴を忠実に描写して、祭壇や窓飾に使用したもの

2.椿の特徴を生かしながら宗教的に象徴化したもの

3.椿の特徴を抽象画風に取入れ宗教的象徴に重点を置いたもの

 第一の形式は奈良尾町に現存する福見教会でみられる。私が調査に赴いた日は、丁度日曜日であったので、教会ではミサが進行中であった。敬虔な信者たちの折りと賛美歌の斉唱が終わり、教会内に人影がなくなるまで待って祭壇に近づき、椿の紋様入りのステンドグラスを見つめた。そこには鮮やかなヤブ椿の美と聖なる信仰の真心が直結していることを感じさせるものがあった。また浜串教会の入口にはマリア像とともに咲き競うヤブ椿が美しく彩られてあった。

 第二の形式は鉄川與助が設計・普請・施工にかかわった初期教会、たとえば頭ヶ島教会、細石流教会(倒壊のため現存せず)に見られる。ヤブ椿の花は通常五弁であるが、教会内部壁面の装飾紋様として用いられる場合には四弁が描かれている。これは頭ヶ島教会や細石流教会のような初期の頃から、四弁をもって特に意図的に十字架を示現したものである。その形式やデザインにおいて、細石流教会の流れを汲むものとみなされる中ノ浦教会の壁面装飾は、大柄で鮮やかな赤色のヤブ椿が濃緑の葉とともに華やかな雰囲気をかもしだしている。

 第三の形式はそのデザインが抽象画風であるところから、単純に普遍化されているために、一見して直ちに椿とは気付き難い。十字のそれぞれの末端を丸めて図案化した紋様は五島のみならず、他の地方の教会にも多用されており、椿とは関係のない外国の教会でもしばしばこれに似た紋様が使用されているので、そのようなデザインを椿に類似するものとして応用した可能性が強いものと考えたほうが良いと思われる。五島の教会で明治初期からこの紋様が用いられているところからみると、明らかに西欧の伝統を受け継いだものと理解される。五島の頭ヶ島天主堂その他でこれが椿の紋様に融合されたのは、紋様の風土化の一例として注目に値するであろう。五島の教会建築史において、鉄川與助をはじめとする日本人棟梁の設計施工による多くの教会で、紋様化された椿が教会の内部装飾に導入された事実は、三世紀に近い禁教政策による弾圧の歴史を振り返るとき、特に意義深いものがあると言わねばならない。このような紋様化された椿の使用はステンドグラス(編者注:青砂ヶ浦天主堂ステンドグラス)のみならず、祭壇、天井パネル、支柱の節飾り、破風などにも及んでいる。

○五島カトリック文化におけるヤブ椿紋様の意義=このように五島の教会にヤブ椿の紋様が取り入れられるに至った事情、並びにカトリック文化に占める意義を考察するにあたっては、その歴史的背景を理解する必要がある。五島カトリック信者の源流は長崎県外海地方である。外海地方は長い潜伏キリシタンの歴史で知られており、その固い信仰が過酷な弾圧のもとに永続したのは、黒船のカピタン・ジワンの弟子であった日本人伝道士バスチャンによるところが大きいといわれている。外海におけるバスチャンの遺物は多いが、その中に「バスチャンの椿」がある。バスチャンの椿とは、東樫山の赤岳山麓にあった椿の大木である。言い伝えによれば、バスチャンがその椿の幹に指で十字を記すと、そのあとがはっきりと残ったといわれている。キリシタンたちはこの椿を霊木として大切にし、ついには赤岳そのものも神山としてあがめられ、樫山は霊地として三度樫山に登れば、一度聖地ローマに巡礼したことになると信じられるようになった。ところが、安政三年(一八五六)の浦上三番崩れの弾圧の際、樫山ではパスチャンの椿が取締役人によって切り倒されるという噂が流れた。そこで信者たちは自らの手で切り取った椿の枝を各戸に配布した。以来、死者の葬送にあたっては、その椿の枝の細片を死者の額に白布で巻いて、天国へのお土産としたそうである。この習慣は五島各地のカクレキリシタンの間にも残っていると伝えられている。(文責 新木涵人)