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瀬戸音信

                                          おもしろ神楽
                                    人・物・情報の交差する島々の物語
                                        上五島の歴史と文化・風土
                                  (原典:『創立10周年記念誌 上五島の歴史と風土』より)





平舞



山賀



折敷



箕舞



獅子舞


【平成十六年三月十三日】

               おもしろ神楽

                   吉村政徳

 五島列島の神楽の系統を分類すると六つの流れがある。

 さらに宇久島の神楽も五島神楽の範疇に入るのでこれを含めると八つの系統になる。しかし江戸時代には五島藩と富江藩に別れていたことからその芸態は異なる。これを一つの表にまとめると次のようになる。

神楽名

史料数

伝承

伝承地

旧藩

伝承区分

福江神楽

48

26

旧福江市

五島藩

五島藩系

岐宿神楽

48

23

五島市岐宿町

五島藩

五島藩系

玉之浦神楽

33

23

五島市玉之浦町

五島藩

五島藩系

富江神楽

48

27

五島市富江町

富江藩

富江藩系

有川神楽

29

20

旧有川町

五島藩

富江藩系

上五島神楽

30

30

旧上五島町旧新魚目

富江藩

富江藩系

神島神社神楽

21

5

宇久町平郷

五島藩

五島藩系

宇久島神社神楽

15

消滅

宇久町神ノ浦郷

富江藩

富江藩系

 この八つの系統の五島神楽の舞の数を単純に足すと、二七二番の神楽舞が伝承されていることになるのだが、永い年月の間に、いろいろな原因で舞えなくなったり休眠したり完全に消滅してしまった舞も少なくない。右表の「史料数」というのが古文書に記録された神楽の元数で二七二番、その下の「伝承数」というのが現在伝わっている数で一五四番ある。残る一一八番は消えたことになる。消えゆく神楽は、詞章が長く暗記して覚えなければならいために舞手がいなくなるケース、あるいは単調な舞ゆえに疎んじられて舞手が敬遠して、そのうち誰も舞えなくなってしまったケースなどがある。それに引き換え、かっこいい舞やきらびやか舞、または優雅な舞やユーモラスな舞、それに大舞といわれる勇壮でアクロバティックな舞などは島の人びとにも人気が高い。

 今日はそんな舞のいろいろを紹介してみたい。

◎舞の原型

 五島神楽の舞の原型は、何といっても「市舞(いちまい)」であろう。この舞はいわゆる巫女舞の一人舞である。舞い方はいたって単純な舞で、舞座が畳二枚分(一間四方)の広さ、巫女はその舞座の下手の中央から右手に鈴をもち右回り一回、中央に戻って逆に左回り一回、次に右回りして中央で止立して「立言(たちごと)」という短い詞章を唱え、再び右左右と廻って終わる。

 「舞」という言葉の語源は「まわる」という言葉がつづまったものと言われているが、まさに五島の市舞は順逆に廻るだけのいたってシンプルな舞で、専門家には歴史的にも舞の祖形としての位置づけができる極めて価値の高い舞と捉えられている。

 このような舞は現在五島だけに伝承されているもので、その点でも注目されている。ちなみに、市舞の「市」とは「伊智」とも書き巫女を指す言葉で、江戸期までは全国的に使われていた言葉だが、今では五島神楽にのみ伝わっている古名となった。

 この市舞は福江島には伝わっているが上五島の有川神楽・上五島神楽には伝承されていない。後世に大切に残して行きたい神楽の一つである。

◎みやびな舞

 優雅な舞といえば、岐宿の「宝剣舞(ほうけんまい)」、有川の「幣帛(みてぐら)」、上五島の「注連舞(しめまい)」「平舞(ひらまい)」などがある。宝剣舞は金襴の狩衣に大口袴をはいて着面して鳥兜を被って舞う剣舞である。所作は単純だが衣装扮装が誠にみやび。有川の幣帛舞は宮司の舞で衣冠装束に身を包み舞う上品この上ない舞。上五島の注連舞も斎服といわれる白装束で舞い、立言(たちごと)と呼ばれる詞章で舞の意味が理解できる。

 その詞章は「千早振(ちはやぶ)るここも高天原(たかまのはら)なれば、集まり給え四方(よも)の神々、さて注連(しめ)の謂(いわ)れは尊さや、七五三とぞ引かれたる。七つ下がって候は天神七代の被相(ひそう)なり、五つ下がって候は地神五代の被相なり、三つ下がって候は天地人三才の被相なり、合わせて十五は、天道(てんとう)のめぐる形や左縄、引いて風に吹かすれば、四方がうちに悪魔来たらじ、諸々穢れ除かると、注連の謂れは尊かりけり。」というものである。

 平舞も優雅な舞で、扇二枚を両手に持ち、それをひらりひらりと靡かせながらの演技は一級品のみやびな舞といえよう。

◎ユーモラスな舞

 下五島の福江・岐宿に伝わる「山太郎」は、爺婆の面を着け爺が1.5bほどの布紐で鈴を振りながら腰の曲った婆を引っ張りながら旅する舞なのだが、その仕草が滑稽で終始笑いを誘う。

 玉之浦の「出来舞」、は、田の耕作、種まき、刈取り脱穀、収穫までの労働の様子を軽妙に舞うもので、最後に白い女面が箕をもって登場し、五方に向かって神々に収穫を感謝する。見ていて労働のストーリーと意味がしっかり理解でき、且つ後半の女面の仕草に会場の楽しい雰囲気は最高潮に達し舞が終わるのである。五島の全神楽の中でも代表格の舞の一つであることは間違いない。

 富江神楽の「山構」は福江・岐宿・玉之浦の「山太郎」と異名同種の舞であるが、上五島ではこの「山構」が「山賀」という名称に変わって伝承されている。しかも舞の意味も山歩きの所作は同じながら「神酒祝ぎ」(みきほぎ)の舞に変容して「この神酒は吾が神酒ならず神の神酒、大物主の醸(か)みし神酒、醸みし神酒、幾久、幾久」という詞章になっている。

 これらの舞はどれも爺婆の面舞でユーモラスな仕草には変わりなくとの神楽でも人気の高い舞である。これに続くのが上五島の「箕舞」と有川の「八千花米舞」(はっせんはなよねまい)であろうか。この二つの舞は異名だが全く同じ舞で、舞手が女装して杵を持ち米つきの所作と実と籾の仕分けを箕で演じながら豊年を祝う舞で、お尻ふりふりに会場がドッと大笑いの渦となる。

 玉之浦神楽の中に「入鹿高松」(いるかたかまつ)という特異な舞がある。イルカが群れて遊泳することろを網で捕獲する様子を舞うもので、初め二人の舞手が行進のように大きく両手を振りながら舞座を回りながら観客の中から一人二人三人と誘って人数を増やしながら行進を続ける。やがて七〜八人になったところで行進から全員手を繋ぎそれを網に見立てイルカをその中に追い込み舞は終わる。この舞は五島も含めて他には全く類例のない極めて地域的特色を持った貴重な舞であると専門家は指摘している。

◎勇壮な舞・アクロバチックな舞

 勇壮な舞といえば下五島では玉之浦の「二剣」がすぐ浮かぶ。二〇分以上の長い舞で、舞の終盤は長剣の切っ先を手で握ってクルクル回すワザは圧巻である。

 上五島の「折敷舞」は盆二枚を手に持ってそれを落とさないようにして舞うアクロバチック且つ勇壮な舞で上五島神楽の中でも獅子舞と共に一番人気の舞である。

 同じ上五島の「神相撲」は、壱岐・平戸の影響を受けた舞で、五島神楽の他地区にはない。軽業師的な所作が多く取り入れられ勇壮だ。現在の角力と掛けるワザは異なるが二畳分しかない狭い舞座の中での大技の連続だからその迫力は何度見ても観客をアッと驚かせる大舞である。

 舞だけではない。太鼓のたたき方にも注目すれば面白い。

 上五島の太鼓は太鼓二台を打つ。太鼓は両方とも同じ大きさだが一つを大太鼓もう一つを小太鼓と呼び、荒技の大舞などで二台の太鼓が掛け合う「組太鼓」がある。

 「露払」「六将軍」「折敷」「一本剣」「四剣」などの勇壮な舞で打たれ、ハイリズムの太鼓が舞を引き立たせる。この大太鼓・小太鼓の組太鼓は五島では上五島神楽だけである。

 舞所となる神社拝殿の四隅と中央正面の棚には五色の御幣が飾られ、それぞれの方角に木神・火神・土神・金神・水神の神々を祀って舞所を整え舞神楽が実演される。

 その五方に向かって神を呼び神に祈り神に感謝し神を称える舞が多いのである。そしてその五方神棚は神楽の時に設えるものではなく舞座の「舞板」とともに年中常設している。

 このように、神楽には所によってそれぞれ特徴的な神楽を有している。そしてその伝統の芸能を島民が支えている。しかし、島民には単純に可笑しくおもしろい神楽には拍手を惜しまないが単調で詞章が長く難しい舞には素直に飽きてあくびも出る。そんな舞手と島民の間の機微の触れ合いの中で神楽の栄枯衰勢もあるのだろう。 (文責 吉村政徳)