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                                         伝統の塩―後編
                                    人・物・情報の交差する島々の物語
                                        上五島の歴史と文化・風土
                  (原典:『創立10周年記念誌 上五島の歴史と風土』より)






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【平成二十四年三月十日】

    日本の食を支える伝統の塩とは(後編)                                           小川邦夫

◎忙しい主婦を支えた日本の「常備食」文化

 ベストセラー『粗食のすすめ』等の著者・幕内秀夫氏は、現代の食の乱れについて次のように述べている。

「主婦が家で料理をしなくなったから食が乱れた、というイメージを抱いている人が多いが、そんな余裕は昔もなかった。炊事にしてもいちいち薪を割ってご飯を炊いていた。それでも昔の日本人の家庭でまともな食事をとれたのはなぜか。それは、漬物、海苔、佃煮、梅干しといった常備食をうまく活用していたから。いちいち料理をしなくても、常備食を作り置きしておけば食事の支度ができる。ごはんを炊いて味噌汁さえ作れば、あとは常備食を並べるだけですんでいた。」(『40歳からの元気食「何を食べないか」』(講談社α新書、二〇〇二年発行)から要約引用)

 ところが、この「常備食」が衰退したことによって、忙しい主婦が、手っ取り早く作れる炒めものや揚げもの、インスタント・冷凍食品に走るようになり食が乱れた、と氏は続ける。

◎「常備食」文化を壊した減塩運動

 では、主婦の料理を支えた「常備食」はなぜ廃れたのか? 理由として氏があげるのが「減塩運動」。「日本人は塩分の取り過ぎだからもっと控えよう」というあれである。以下、典型的な減塩のすすめをみてみよう。

「私たちが慣れ親しんでいる和食には塩分が多く含まれています。まず注意すべきは醤油、味噌汁、漬物です。…患者さんには、まずは漬物を止めるようにお願いしています。長年食べなれてきた食事をかえるには強い意志が必要です。そこで、まずは漬物だけをやめてみるのです。…みそ汁も半分にしてみてください。」(岡本卓著『糖尿病のみなさん、インスリンをやめてみませんか』飛鳥新社)。糖質制限食を強いる現在の糖尿病治療の常識に正面から異論を唱える著者だが、こと減塩に関しては、このように常識的・教科書的な指導に徹している。

「食事が和食にかたよりがちで魚の干物、みそ汁、漬け物などが大好きな人はいないでしょうか。このような和食スタイルはどうしてもご飯に合うようにおかずが塩辛くなり、それによってご飯がまたすすむ、という傾向があります。洋食の場合には、パン自体に意外に塩分が含まれているのですが、逆におかずは薄味ですんでしまうのです。」(滝口操著『高血圧の人の食事』成美堂出版)。これも料理本ではお馴染みの文言である。

 こうした書籍以上に減塩に貢献したのが、新聞・テレビなどの大衆メディアである。朝日新聞の連載記事「体とこころの通信簿」(二〇〇七年七月十日)では、「改めてほしい食習慣」を10項目あげている。その中に、「みそ汁を1日2杯以上のむことが多い」、「たらこや塩辛、梅干し、塩昆布、佃煮がいつも食卓に上る」という二つの伝統的な食習慣が含まれているのは注目に値する。そのほか、大手新聞社は、高血圧に関するシンポジウムをたびたび開催、「朝食はサラダジュースを作るなどして塩分ゼロを心がけています(朝日二〇一〇年十月二十六日)」という料理研究家の発言や「塩分の多いしょうゆ、みそより洋風のソースやマヨネーズ、ケチャップを上手に使います。(讀賣二〇〇三年十一月九日)」という管理栄養士の発言を取り上げて読者に減塩の必要性を訴えてきた。もちろん減塩運動の先頭に立ってきたのは国である。二〇〇五年の「日本人の食事摂取基準」(厚労省が5年おきに改訂)において10g未満(女性8g)だった食塩摂取の目標値が、二〇一〇年には9g(女性7・5g)とさらに厳しくなり、今まで以上の減塩が進められている。

 以上のような国、医療・メディア界をあげての取り組みの結果、国民の多くが減塩を心がけるようになった。余談だがこの運動がもたらしたのは減塩だけではない。先ほどの引用文でお気づきと思うが減塩運動の矛先は塩のその先の日本食にも向かっている。

◎減塩運動に対する警告

 以上のような減塩運動に対して、近年、医学的見地から異論が相次いでいる。例えば、帯津良一氏は、その著書『達者でポックリ』や氏と五木寛之氏との共著『健康問答』などで注目を集め、又、免疫学の視点から現代医療にするどく切り込む安保徹氏、現代人の低体温化に警鐘を鳴らす石原結實氏。ともに著作は数十冊超、医療や健康に関心のある層に絶大な人気を誇る彼らが、医師としての知見と経験に基づき減塩に警鐘を鳴らしている。ここでは、減塩に正面から向き合った石原結實氏の著書『「塩」は体を温め、免疫力を上げる』(経済界二〇〇七年発行)から引用してみよう。

「東北地方の人々が塩辛い食物を食べてきたのは、何百年またはそれ以上の先祖の知恵。塩は体を温めます。暖房が発達していない時代、東北の厳寒の冬を乗り切るには、体を温める塩が必要だったわけです。東北地方の人々が、昔、塩分の濃い食べ物を食べなかったら、脳卒中で倒れる何十年も前に、冷えからくる肺炎、リウマチ、下痢、膠原病、精神疾患などにかかって、早死にしていたに違いありません。」

 血圧の高さは気温と関わりが深く、減塩は大事な寿命を縮めかねない、と指摘する。さらに、氏は、世界的に権威のある英国医学誌「ランセット」(一九九八年)に掲載された次の論文を引用し減塩運動の誤りを指摘する。

「米国で25歳から75歳までの20万人余りを対象に栄養調査を行ったところ、食塩摂取量の一番多いグループの死亡率が一番低く、摂取量が少なくなればなるほど死亡率が高くなった。(高血圧、脳卒中、心筋梗塞といった疾患による死亡率も同じ結果)」。

 また、氏が5度調査に出向いたグルジア共和国・コーカサス地区に住む百歳以上の長寿者たちの食事が、主食の黒パン、チーズは塩辛く、食卓には常に塩を入れた壺があり、野菜や果物、煮物やスープにも塩をかけて食べる、という高塩分食であったことを伝えている。減塩を推進する人々の一部は、ヤノマノ族の塩分摂取量が約0.3%であることをもって「塩は必ずしも人間に必要ない」と主張する。しかし、塩分摂取量が世界一少ないヤノマノ族が世界一の短命であることについては決して触れない。

◎日本の食文化を守り・伝えるために

 科学の世界では、昨日までの常識は今日の非常識。その典型が公害や薬害である。この減塩運動についてもいつの日か反省される日がくるだろう。

 しかし、一旦失われた食文化を取り戻すのは容易ではない。

 幕内氏は、冒頭で要約引用した書の中で、次のように続ける。

「日本はいま、男女とも世界一の長寿国となりました。…単純に考えれば、80歳、90歳の元気なお年寄りが日本にはたくさんいるということになります。いま80歳以上の方が生まれたのは、一九二二年より前の話。…そのころの食生活はどんなものだったでしょうか。ごく一般的な献立は、佃煮などのほか味噌汁は一日二杯、漬物は毎食ごと。いうまでもなく「塩分」だらけです。…にもかかわらず、その世代の人が世界一の長寿となった。…この事実を減塩運動推進者はどう説明するのでしょうか?」

 日本人には日本人の食文化がある。気候風土にあった食がある。だからこそ生まれた知恵がある。日本の食文化、先人たちの知恵を次世代に伝えるために私たち世代が何をなすべきか。一時の風潮に惑わされずじっくり考えねばならない。(文責 小川邦夫)