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瀬戸音信

                                         伝統の塩―前編
                                    人・物・情報の交差する島々の物語
                                        上五島の歴史と文化・風土
                   (原典:『創立10周年記念誌 上五島の歴史と風土』より)





講演風景



塩の結晶



塩盛

【平成二十三年八月二十日】

    日本の食を支える伝統の塩とは(前編)

                     小川邦夫
 はじめに

 一九九七年(平成九年)に専売法が廃止、海水を原料とする塩づくりが許されるようになって既に十年以上が経過。

 この島でも二十を越える事業所が誕生したが、島内での普及は今一つのようである。なぜか?

 その理由の一つに、ほとんどの事業者がイメージ中心の訴求(「五島のきれいな海水」など)に終始、肝心な製品自身の情報、即ち従来商品との製法や成分の違いを十分に伝えてこなかったことがあげられると思う。そこで今回は、現在国内で生産されている商品の製法面、成分面での違いを明らかにしたうえで、上五島の塩の将来を展望してみたい。

1 戦後日本の製塩史

 四方を海に囲まれた日本では、太古の昔から海水を原料とし、海水から水分を抜くことで塩を作ってきた。

 土器に入れて焚いた時代から「揚げ浜式」、「入り浜式」など海水濃縮において天日を利用する時代に到るまで、いかに塩を効率よく生産するかに私たちの祖先は腐心してきた。

 そうした中、戦後登場するのが「イオン交換膜製塩法」である。

昭和三十五年(一九六〇年)、電気の力を利用して海水中から主成分である塩化ナトリウムを取り出す製法が実験的にはじまる。

 この製法の特長は天候に左右されず、安価で安定的な供給が可能なこと。国は昭和四十六年(一九七一年)「塩業近代化臨時措置法」を制定、従来の塩田を全て廃止し、この製法以外の塩の製造を禁止した。このとき誕生したのがいわゆる「専売塩」である。

 こうした国の動きに対して、

@化学薬品のような高純度の塩を食用にするのは問題、

A基本食料の選択権を奪うのは基本的人権の侵害、

といった理由から従来製法による塩の復活を求める運動が起こった。各方面への署名は五万人にも上ったが国の決定を覆すにはいたらなかった。が、反対運動側は「特殊用塩」(アジシオに代表される専売塩に調味料、香辛料を加えた加工塩)という区分があるのに着目、「輸入天日塩にニガリ(注1)を加えて溶解、これを煮詰めて再結晶させる製法」を申請、国もこれ以上反対運動を無視することもできず、一九七三年(昭和四十八年)「伯方の塩」をはじめとした商品が誕生した。(注2)

 しかし、なぜ輸入天日塩にニガリを加えて再結晶するという面倒なことをしたのか? というのも実は、輸入天日塩のほとんどが専売塩と同じく塩化ナトリウム九九・五%以上の高純度塩、従来製法の塩には遠く及ばない。よって、輸入天日塩にニガリを加え一旦溶解、再結晶させることで足りないニガリ分を補足しようとしたのだ。いうなれば、専売法下での苦肉の策、妥協の産物といえるだろう。(注3)このようにして誕生した「伯方の塩」をはじめとした商品は、「自然塩」という呼称を得て、専売塩とともに戦後日本の食卓を支えていく。

(注1)「苦汁」とも書く。塩を結晶化させた後に残る液。塩化マグネシウムを主成分とし、豆腐の凝固材など様々な用途で使われている。

(注2)その他代表的な商品として「赤穂の天塩」「シママース」などがある。

(注3)海水に溶けている様々な成分(塩類)は溶解度が異なるゆえに結晶化する時期はばらばら。多くの海外の天日塩田では海水が何段階かの蒸発池をへて製塩されるが、結晶池では塩化ナトリウムのみが析出される。そこから塩を採取することになるので海外天日塩は塩化ナトリウム高純度となる。

2 専売法廃止後の国内産塩市場

 一九九七年(平成九年)に専売法が廃止、全国各地で海水を原料とする塩が復活していく。上五島の塩もその中の一つ。

(注4)一九九七年(平成九年)、旧有川町鯛ノ浦郷・歌野敬氏、旧新魚目町似首郷・犬塚虎夫氏、同曽根郷・古田正人氏らが「五島塩の会」を設立。ここから上五島における製塩が再スタートする。


 これら古くて新しい塩、即ち「伝統の塩」は、

@日本の伝統的製法であること、

A海水の成分を丸ごと含む、

という特徴を活かし、食や健康に関心の高い消費者を中心に支持を集めていく。と同時に、外国産の天日塩や岩塩など様々な商品も店頭に並ぶようになり、それまで市場を独占してきた専売塩や「伯方の塩」など従来商品は戦略の転換を余儀なくされる。 

(1)「専売塩」の巻き返し戦略

 塩化ナトリウム九九・五%という純度の高さが弱みであった専売塩だが、ここへきてその弱みを強みに変える戦略に転じている。「塩化ナトリウムのみを抽出=有害物質(PCB、カドミウム、水銀など)が入り込まない=海洋汚染が進んでも安全な塩を提供できる」というアピールがその代表的なものだ。食の安全を脅かす事件が頻発する中、人々の安全志向に訴えて巻き返しを図っている形である。

(2)「伯方の塩」などの生き残り戦略

 専売法が廃止されたことで発足の目的でもあった海水からの塩作りが可能となったが、各社とも従来製法、即ち輸入天日塩にニガリ分(あるいは海水)を加えて再結晶化する製法を続けている。その理由として各社があげるのが「環境への配慮」。海水から塩を作るよりも大量の燃料を節約できる、燃料を節約できればCO2の排出が少ない、と環境意識の高まりを意識したアピールに転じている。

(3)「伝統の塩」の場当たり戦略と将来展望

 以上のように従来商品各社が戦略の転換を図っている中、「上五島の塩」を含む「伝統の塩」製造各社はどうかといえば、相も変わらず「○○のきれいな海水を使って…」といったイメージ訴求に終始しているようだ。しかし、競合他社が強みを全面に押し出し差別化を図っていく中で、漠然としたイメージ訴求を続けていても先行きは暗い。

加えて、従来商品からの「海洋汚染」「環境への負荷」といった問題提起に対して、「不純物の徹底除去」や「風力や太陽光の利用」を謳うなど、「売られた喧嘩は」的な対応が見受けられるが、こうした行為はみすみす相手の土俵に上がるようなもので不利な戦いとなるのは必至。(注5)

 そして、以上のような場当たり的な対応こそが潜在的な可能性を秘める「伝統の塩」の飛躍を阻んでいるといえる。では、どうすべきか? ここは経営の基本に立ち戻り、自らの「強み」を徹底的に発揮するしかないだろう。

 「伝統の塩」の強みとは、

ア 日本で古くから行われてきた製法であること(注6)

イ 海水中のいろんな成分を含んでいること、

という点につきる。従来商品では決してまねることのできないこの二つの強みをいかに消費者に伝えていくか、これが「伝統の塩」の今後を左右するといえるだろう。

(注5)「海洋汚染」の問題提起に対しては「海水を汚さない努力こそ事業者の努め」、あるいは「人体に影響が出るには遠く及ばない」との反論で足りる。また、「環境面」の問題提起に対しては、「商品価値とエネルギー問題を混同させた議論の不毛さ」、「人間には自然エネルギーを利用する能力は備わっていない。太陽や風をあびて成長した樹木を燃やすことでエネルギーを取り出す、この方法こそが太古の昔より行われてきた自然エネルギーの利用方法である」との反論で対応すれば十分だろう。

(注6)釜に使う素材の変遷、海水の濃縮方法の変遷がある中、変わらないのが「火力」の使用である。日本の伝統製法のつまるところは「火力の使用」にある、と筆者は考える。

3 日本の食を守り・伝える使命

 「料理は塩で決まる」「塩ふり3年」「塩梅」という言葉があるように塩は「食」のかなめである。とりわけ、塩を発酵など保存技術に利用してきた日本の食において塩の果たす役割は計り知れない。食の崩壊が叫ばれる今こそ、「伝統の塩」は自らの強みを伝えながら、「日本の食を守り、支える」という使命を理念として掲げるべきであろう。

         (文責 五島のうみしお 小川邦夫)


【筆者の横顔】

●筆者のブログ(http://gotounoumisio.jugem.jp)「五島のうみしお 島暮らしの風景」より

 二〇〇〇年三月、十五年間のサラリーマン生活にピリオドを打ち、家族三人で長崎県の五島列島に移住。その翌年、五島のうみしおを創業。あれから十年、三人だった家族もいまや五人。七年前には義父母も加わり、にぎやかな島暮らしを満喫中。

●『五島新報』第八四号(二〇一〇年五月十五日発行)より抜粋

 一時は三〇戸あったという新上五島町小串郷大浦地区。…海岸には今も大浦教会の廃堂がある。その大浦地区で、平成十三年、八代市出身の小川邦夫氏は待望の田舎暮らしを始めた。マイペースの人生設計の中で、五島の海に命を預け、じっくりと炊き上げた自然塩は、結晶も大きくリピート注文で業績は順調のようだ。同地区には現在、塩製造者が4軒、民宿も一軒ある。また、「ほぼ月刊」として、「しおやのめ」A4版カラー8ページの冊子も既に4号まで個人で発行。生産者と消費者を結び、価格競争ではないファンづくりを目指し、他にA4版表裏の「しおのはなし」「五島通信」も作り、情報提供とオピニオン発表を続ける。…

●『みJOY』十号(二〇一一年夏号 十七頁)より抜粋

 海辺に立つ工房。美しい海と自然に囲まれ、小鳥のさえずりが聞こえる。さっそうと薪をくべ、火をおこし、自身のつくる塩をじっと見つめる。まさに「職人」。そんな小川氏だが、もともとは大手企業に勤め、マーケティング業務に従事し、後は熊本県庁に勤めていたという経歴を持っている。この地に暮らし始めて十年余りが経つ。この島の魅力に魅かれ、充実した日々を過ごしている。きっかけは、「熊本精神。それは、簡易・善良・素朴を愛し、日常生活での無用の贅沢と浪費を憎む精神である。」ラフカディオ・ハーン(帰化名=小泉八雲)がある講演で述べた、いわゆる「熊本精神」であったという。

 「この言葉をきっかけに、自然とともに暮らすということを真剣に考えるようになったんです。それから、農業などにも興味が出てきて、自分の肩書きを捨てて、もっと人間らしい暮らしを追及したいと思いました。」

それから本格的に田舎暮らしに動き出した小川さん、色んな方の協力を得てこの地で暮らすことが実現したのだ。…