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瀬戸音信

                                         方言・風習の伝播
                                    人・物・情報の交差する島々の物語
                                        上五島の歴史と文化・風土
                   〔原典:上五島歴史と文化の会発行『五島・若松瀬戸物語』〕
                   (オンブック発行『甦れ!僻島の事跡と風景』に改訂版掲載)
                     http://www.onbook.jp/bookd.html?bid=0131






日本の方言地図



熊野・太地の伝承



シャーギ

         方言・風習の伝播

 (一)方言は何を語っているか

 それは、言葉の生成・伝播・変化・消滅の歴史そのものであり、また、人や物の交流の歴史を語る生きた考古学的史料でもある。

 ◎ 古語の残存

 古語が中央から遠く離れた地域に方言として残存するという事実は、本居宣長が『玉勝間』で「すべて田舎には、いにしえの言の残れること多し」と記しているように、古くから認識されていた(徳川宗賢編『日本の方言地図』中公新書、一九七九年、十四頁)。

 たとえば、「かわいい」の意のメンコイは「めぐし」に由来、「退屈」を意味するトゼンは「徒然」に由来、「とんぼ(蜻蛉)」のアケズ・アッケは「あきず」が変化したもの、という具合である(同前)。

方言の全国的分布を調べ記録した『日本言語地図』(一九六六〜七四年、国立国語研究所編)を眺めていると、一地方にだけ分布すると思われていた語が、かけ離れた別の地方にも存在するという場合が非常に多いという。上の例で、トゼンは東北地方の方言として挙げられているが、トゼンネ・トゼンナカは九州各地で見られ、アケズ・アケシなどの形が九州南部から奄美・沖縄諸島にかけて広がっているという。

 これらは中央から地方に伝播分布し古い語形が変化しないで受け継がれていったものの一つ(周圏分布)と考えられているが、中には移住や物自体の飛火的伝播に伴って移植された可能性のあるものもある。

 ◎ 飛火的伝播

 飛火的伝播は関連地域間の交流の事実を物語っている場合が多い。そこで『日本の方言地図』に挙げられているいくつかの方言を拾い出し、五島地方との関連を考察してみた。

 ミナ 『和名抄』に巻貝類の総称として記載され、かつて蝸牛を巻貝類の一種とみなしていた頃の残存的表現として熊本や沖縄の宮古島にみられるという(同前、十九頁)。当地でも巻貝の一種をミナ(荒川地区の地名ミナガラ窄はその残存例)と称しており、熊本や宮古島との交流のあったことを思わせる。

 オヒト(ツ)・オシト お手玉の方言。五島・平戸・佐世保・西彼杵・長崎・大分・種子島・沖縄・京都・茨城・栃木などに一定の勢力で分布している(同前、三十一頁)。南北朝時代、後醍醐天皇の多くの皇子たちが貴族達とともに各地に派遣されたが、上記分布の情況はあたかも彼らがそこで活動した事実を示しているかのようである。

 ボブラ・ボーブラ かぼちゃ(南瓜)のポルトガル語(abobora )に由来。事物の伝播は飛火的にひろがることがあるといわれ、その例の一つ。五島・九州一円と山口県・石川県能登半島に分布している。また、変化形のボフラ・ボーフラという表現は、鳥取県・広島県・高知県にその分布が見られる(同前、五十八頁)。これらの事実は、海上交易によって物が流通していたことを物語っている。

 オランダイモ じゃがいも(馬鈴薯)の方言。五島と長崎県南部地方に主に分布している(同前、六十九頁)。兵庫県西部地方と静岡県にもこの表現の分布が見られるが、これらは人の移住による移植だろうか。

 トーキビ とうもろこし(玉蜀黍)の呼称で、五島・九州と北海道のほぼ全域、四国の過半、北陸・東北の一部のほか、ところどころに分布している(同前、七十七頁)。周圏的分布ではなく、九州あたりで作られ、玉蜀黍そのものと一緒に全国にひろがった名称ではないかという(同前、七十九頁)。物の流通とともに飛火的に広がっていった例といえよう。

 ◎ 若松地区の方言

 旧若松町(現、若松地区)歴史研究会では、当地に特異的に残されている方言をできるだけ収集し保存しようと、この程、メンバー全員で作業を開始し取り組んでいる。今回は、それらの中から、古語の残存的表現と思われる方言を抽出して列挙してみることにした。

 アダンマ  あだ(徒・空)の間・無駄の間・あいだの部屋のこと。

 イラジョ  毒クラゲのこと。古語イラ(草木のとげ)の転用。

 ガンギダン  段々の意。雁木(がんぎ)段(違い棚)から変化した語。頭髪の虎刈り状態もガンギダンになっているといった。

 タッモン・タキモン  薪(まき)のこと。古語「焚き物」の残存。

 チング  親友・仲良しのこと。中世語の漢語チグウ(知遇)に由来。

 ネマル  食物が痛む・腐りかかること。火を通した食物が悪くなる場合に用い、生野菜や果物、生の魚介類が痛む場合には用いない。中世語ネマルの残存。

 ハザ  合間または時の意。「…しているハザに、…しとけ!」というように用いる。

 ハザグイ  間食・おやつ・つまみ食いのこと。

 ハブテル・ハブツル  不貞腐れること。中世語ハブツルの残存。

 ハンズ・ハンドガメ  水瓶(みずがめ)のこと。中世語ハンズ(飯水)・ハンドウ(飯銅)に由来。

 フーケモン  馬鹿者のこと。中世語ホーケモノ(惚け者)の変化語。

 ミジョカ  可愛らしいこと。中世語ムゾーナに由来。ムゾーは漢語ムザン(無慙)が変化したもの。

 ムゲナカ・ムゲンナカ  気の毒だ・同情心のない惨(むご)いことの意。漢語の「ムゲ(無下)ナリ」が形容詞化したもの。

 メゴ・メカゴ  籠のこと。中世語メゴ(目籠)の残存。

 ヨサリ・ヨザリ・ヨサッ  夜・夜中のこと。古語ヨサリの残存。中古の竹取物語や伊勢物語に用例がある。

 以上みたように、これらの事例をはじめ当地に残されている方言を収集し、それらが周圏的分布の残存的表現なのか飛火的伝播によるものかを分類・究明することは、共通の方言を用いている地域との歴史的交流を考える上で有意義な研究課題ということができる。

 (二)他地方の方言との関係

 当地に残されている方言と、同じ単語・内容で用いられている他地方の方言を調べ、それらが周圏的分布なのか飛火的伝播によるものかを究明することは、その地方との歴史的交流を探索する手掛かりとなる。方言は人や物の交流の歴史を語る生きた考古学的史料だからである。

 ◎ 「鯨組」発祥の地「太地」の方言と若松方言

 『熊野・太地の伝承』(滝川貞蔵著―発行所工作舎、昭和57720日発行)という本の付録に「太地」の方言が載っている。著者(明治三十五年、和歌山県東牟婁(むろ)郡太地(たいじ)町で生れ、九州帝国大学を卒業後、新宮商業学校で英語の教鞭をとり、戦後、「巴川製紙」の新宮工場長などを歴任、退社後、「熊野誌」などに寄稿、民俗学者橋浦泰雄氏と親交のあった人物)は、太地方言の中から他府県でも使われている六百語を選び統計を取って分析し、「特徴的なことは、太地の方言が、瀬戸内海を西にして、大分県に渡り、熊本を通って長崎に至っている」と述べている。

 このことを検証する意味もあって、『長崎県のことば』(平山輝男編、明治書院)・『五島方言集』(郡家真一著、国書刊行会)と照合し、同じ単語(類語を含む)・内容のものを拾いだしてみた。結果は、次に示したように、おおよそ二つのグループ(A=太地とのみ対応するもの、B=太地のほか複数の地方と対応するもの)に分けられる。

 〈Aグループ〉

 アオギタ 北風。十月頃に吹く北風で、海が真っ青になる。

 アマメ【海目】 火にあたって生ずる斑紋。(五島―船虫)

 クラワス【食らわす】 なぐる。

 ゴット(五島―ゴッツ) 御馳走。

 〈Bグループ〉(注―カッコ内の地名はその地方でも使われていることを示す。)

 アッチャコッチャ 反対(九州 四国 近畿 尾張 美濃 福井 石川 富山 山形)(五島―ヘリャコリャ)

 アバ【網端】 網の浮き(九州 山口  岡山 高知 淡路 三重 愛知 静岡 千葉 岩手 青森)(イワ  重り)

 ウセル【失せる】 行く 来る 居る(中部以西 徳島)

 オメク 大声を出す 叫ぶ(九州 三重 奈良)

 キバル 力む 許す(鹿児島 京都 奈良 石川)(長崎―頑張る)(五島―ギバル)

 クチアケ 漁期の解禁(長崎 伊豆・大島 上総)(五島―山海物採取の解禁)

 クチナ・クチナワ へび(四国 関西 仙台)

 クエル(長崎―クユル) くずれる(種子島 対馬 山口 石見 四国 兵庫 淡路 大阪 奈良 群馬)

 サバク【捌く】 ほどく(愛媛) 鯨を解剖すること(五島―サバカル 仕事がはかどる。理解がはやい)

 シビ 鮪(九州 高知 徳島 香川 山口 島根 広島 兵庫 福井 富山 岩手)

 セゴシ 魚を骨のままつくること(宮崎 山口 滋賀)(五島―セギリ)

 ゾーヨウ【雑徭】 費用(熊本 大分 高知 徳島 石見 広島 大阪 京都 三重 岐阜 尾張 富山)

 デボチン おでこ(宮崎 長崎 佐賀 大分 愛媛 高知 島根 広島 兵庫 大阪 京都 滋賀 奈良 三重)(五島―おでこ。福助頭)

 ナオス【直す】 しまう 片づける(鹿児島 熊本 大分 山口 対馬 大阪 奈良 京都 三重 伊豆)

 ハガマ【羽釜】 飯釜(宮崎 鹿児島 長崎 熊本 大分 山口 鳥取 島根 広島 岡山 四国 畿内 富山 茨城 福島 仙台 山形)(五島―釜)

 ハナ【鼻】 岬(奄美大島 長崎 熊本 広島 鳥取 岡山 高知 伊豆 千葉 岩手)

 ◎ 歴史的交流の痕跡

 Aグループは飛火的伝播、Bグループは周圏的分布といえるのだろうか。限られた数の対比から、そのような結論を出すことは早計であるが、前掲書には、年中行事について、当地と密接な関係を示す次のような興味深い事実が紹介されていた。

 〈懸けの魚〉 内庭の壁に椎の木で作った一米余りの棒を両側に張って吊り下げ、それに鰺、鯖、鰯等の干物又は塩物を吊るしたものを「かけのうおの棒」という。この棒のことを幸木とかしゃ木と呼ぶ所があるが太地では特別の呼び名は無く、ただ「かけのうおの棒」と呼んでいる。(中略)。この棒は、その家に不幸のない限り取り替えず、年々そのまま使った。かけのうおは正月中の副食物となるが、鏡餅と同様、正月様の重要なる供物であって、それを食べることは雑煮と同じくナオライ(直会―神前の供物を下げていただくこと)のひとつであった。

 五島では、この棒をシャーギ・シャーハイドン・サヤンドンと呼び、正月に昆布・鯣・鰯・鰤などを懸ける横木(直径4センチメートル・長さ1メートル〜1メートル五十センチの棒)で、正月に金銭を出すことを忌み、ご馳走をここに懸けてある物で調える風習から生まれたという。家の新築か不幸のあった時以外は新調せず、何代も続いた物ほど価値があり、自慢の種であった。

 この風習は、玄海の島々(能古島・志賀島・玄海島・壱岐・生月島ほか)でも多く見られ、これを能古島では、サイワイギ、志賀島や玄海島などでは、ヨロズカケ、壱岐では、サーワギ・セーワギ、生月島では、シャワーギと呼んでいた。五島と玄海の島々を結ぶ海上の道があったことを示している。(野間吉夫著『玄海の島々』参照)

 幸木(シャーギ)の由来は、昔、海で遭難した人が、丸木棒にすがって命を救われ、島で生活することとなった。このことがあってから、その棒をシャーギ(幸木)と称して、山海の獲物をかけて、祝い祀るようになった、という。(橋浦泰雄著『五島民俗図誌』より)

 〈亥の子〉 十月の亥の子を祝う行事である。(中略)。猪は多産であるから、生産の行事に縁起を祝って、猪の月である十月を亥の子の日と設定したと言われている。(中略)。

 太地は漁の町であるが鯨方に昔から行われたらしく、鯨方の従業員に与えた遣物(つかわしもの)の中に、玄猪遣物があり、玄猪を亥の子のこととすれば、亥の子の贈物である。太地には亥の子搗きともいうべき子供の地搗きがある。丸い石に十本ほどの綱をつけて、それを持って地搗きをするのである。この石をコーリンと呼ぶ処があって、神の降臨を意味するものだとも言っている。太地では子供達が次のような歌を唄いながら戸毎を搗いて回って餅を貰う役があって、首に袋をかけて回る。

 亥の子祝うてくらんせ/亥の子亥の子/だいらの沖でここの舟突いた/ようよう突いた/芋の餅いやだ/米の餅くらんせ

 「幸木」も「亥の子搗き」も共に若松地方に昔から伝わる「年中行事」である。同じ風習が伝わっているということは、「太地」との間に「人」の交流があった証しであろう。江戸中期、「太地」の「鯨組」が若松地方を含む西海地域に進出し繁栄をもたらしたが、上述の方言や年中行事は、この「鯨組」に伴ってもたらされたものであろうか。